明治時代の日本医療の牽引者たちの葛藤|お花茶屋の歯科・インプラント|コージ歯科

明治時代の日本医療の牽引者たちの葛藤
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葛飾区お花茶屋のコージ歯科の貝塚浩二です明治に慶応に歯科あったんですね!「奏鳴曲 北里と鴎外」書評

 

冒頭、「北里が死んだ、か」から、「前々日に、慶応病院の歯科で治療を受け、昨日は北里研究所に出勤したそうです」の会話で始まっている本書「奏鳴曲 柴里と鴎外」(文藝春秋・2000円・2022225)。北里柴三郎・森林太郎(鴎外)の二人は知れ尽くされて歴史に名を残した医師であり、その評価は医学の専門業界では尽くされている。しかし、医療関係者を含めて日本人の多くは、その私生活までは知らないのが普通である。作者・海堂尊(かいどう たける)(千葉大医学部卒・医師)が、4年の歳月をかけての著書。「執筆動機は単純で「北里が2024年から千円札の“顔”になるという報道がきっかけ」と述べているようだ。

 両者の生い立ちを含めその違いが生み出す、葛藤・相克が歴史事実を交えて展開されている。年齢は北里が9歳上であるが、現在の東大医学部卒である両者であるが、年次では森が先輩。研究に取組む姿勢の真逆の関係。医師としての人生を歩みにおける、内務省・文部省、陸軍省でという選抜されたエリートの成績至上主義の時代と重なり、上司・同僚・子弟という人間関係の機微があることが、さらに両者の複雑な心理・感情を増幅させて描いている。二人を巡っての不可欠な研究評価は歴史に名を残し本書でも記しているが、長与専斉:日本の衛生行政の基礎の構築者、後藤新平:医師・行政官・政治家、福沢諭吉:慶大創設者、子爵石黒忠悳(ただのり):近代軍医制度創設への貢献者、賀古鶴所(かこ つるど):鴎外と東京医学校(現東大医学部)の同期で終生親友などが登場する。

あらすじは、明治時代の医療を巡る歴史の上で、随所に出てくる北里と鷗外の2人の会話は、“歴史離れ”として評伝小説の形式になっている。歴史を学びながら想像に書き立てられる場面も多々ある。ライバル扱いの正否は判断はともかく、無医村で育ち、幼少時代は、二人の弟をコレラで亡くした北里。一方、津和野藩の典医の流れを受ける、名門医家に生まれた森鴎外。対照的な背景での生活の中で、二人はともに感染症から日本国民を守るという志を抱き、ドイツに留学してコッホに学ぶ。だが、やがて彼らは進む道を違え、ついには対決に至るという展望にしている。互いの地位をかけた政治的な謀略合戦にまで発展する。もともとの性格や生まれ育ちの違い、学んだ内容の相違なども対立の原因でもあるが、それ以上に、二人を取り巻く学閥や閨閥、後ろ楯となった政治家との間柄など、医学的な研究の在り方とは、無関係なはずの人間関係が大きな要因だった。仮に、ライバル意識・互いに牽制するような複雑な感情・視点などなく、連携・協力があったら、また、新たな日本医療の歴史が刻まれていたのではないかと想像してしまう。

そこで、注目しておきたいのが、最初から最後までポイントで登場する子爵石黒の存在が不気味になる。知名度は、北里・鴎外と比して全く知られていない人物。結果として、北里・鴎外の最期を確認している。「世の中、生き残った者が勝ち」との言葉を発しているが、無視できない存在であったのか推測してしまう。コッホやパスツールなど感染症分野での偉大な研究者との関係にも言及している。北里・鴎外という医師・研究者とし偉大な功績のみならず、失敗や人間的弱点をも描いている本書は、現在のコロナ禍での医学と感染症との戦いにおける試行錯誤という観点から、コロナ禍の現在にも通ずる内容でもある。政治、厚生行政、慶大閥、東大閥、さらには、福沢の支援を受けた伝染病研究所(現在・東大医科学研究所)の設立した北里は、慶大医学部の初代部長。日本医師会設立、なお忘れてはならない野口英世は、英語が堪能だったので研究所では、研究者というより通訳として北里に仕えていたようだ。2024年には、前記の通り、千円札紙幣の顔が“北里柴三郎”に代わることが決定しており、また、今年が鴎外の没後100年。少々ボリュームがあるが一読を薦めたい。評伝ではあるが、明治時代の医療行政・牽引者たちの立場・裏事情を垣間見ることができる。