生きることは食べること|葛飾区お花茶屋の歯科・インプラント|コージ歯科

生きることは食べること

 葛飾区お花茶屋のコージ歯科です、医師・長尾氏が自著「平穏死10の条件」で主張:“生きることは食べること”など

 

口腔機能研究の報告が歯科関係から続いている。“研究は積み重ね”と指摘されるが、隣接する関係領域や専門家からの報告・主張への関心は必要のようだ。専門領域だけでの研究姿勢に懸念する指摘は最近は多く、歯科関係学会発表にも緊張感不足の指摘があるのも否定できない。社会にインパクトを与えたり、記者会見を開く意味があるような研究は極めて少ない。

ネットニュースでも想定できる範囲になっているのが現実。研究・研修に熱心に取り組んできたベテラン臨床家の人たちは、冷ややかに評価している。「一生懸命の研究成果だから、宜しいのではないか、今後も頑張ってほしい」と言いながら、「類似した研究内容であることは否定しない。臨床家として“驚くような”“一目置きたくなるような”研究は激減した。学会でも興味をそそるあるいは期待を集める内容が少なくなった」「大学人・研究者はキャリア形成等から日々、教育・臨床そして、研究に勤しむが、その苦労は理解できるが」等々。

今まで一石を投じてきた医師である長尾和宏氏(東京医大卒・兵庫県尼崎市開業)24時間体制で在宅医療を提供しているこの分野での愛一人者。2021年に上映された、痛くない死に方」「痛い在宅医」をモチーフにした映画も話題になった。テーマは、“在宅医と患者と家族の物語である。今回、紹介する本書「平穏死10の条件」でも歯科に関係してくる内容も記している。冒頭には、平穏死、自然死、尊厳死について整理して説明している。特に平穏死は長尾氏の造語であるが、その意味を、日本社会や医療の皮肉を交えての明確に説明している。

そこで関係する咀嚼に関係する食事に言及している。それも時期によって捉え方が違ってくる。食事は誰でも、いつでも、どこでもできる生活行為が普通である。その普通の生活ができない時期で、「生きることは食べること」「好きなものを好きなだけ食べて“満足死”」と主張。長尾氏は「老衰や認知症終末期の患者さんは、嚥下機能の低下、食べ物が気管に入り易くなります。そこで、この問題にどう対応していくのか現場では問われています」と指摘。多くの医師は「食べたら死にます」と伝えるという。確かに命取りになる患者がいる事実を認めながら、次のようにも述べている。「病院では、誤嚥性肺炎で入院が長期化する可能性がるので、胃瘻や高カロリー輸液を勧められます。誤嚥性肺炎が命取りになった時の病院の責任を回避する意味もあります」と病院の立場からの背景も含め明言している。

自分の口から、食事している時の患者はゆっくりでも顔は満足、ささやかでも賞味している。人間の人生晩期の姿・在り方は、厚労省有識者会議で議論され、まとめの報告も出ているはずである。当然であるが、現在の歯科医師の意識構造も大きく変化しているのは事実。齲蝕・歯周病等歯科疾患に、経験・エビデンスをもって全力で診療に対応している。歯科衛生士・歯科技工士も然りである。そこに一つ意味が付与されている。歯科診療は歯科だけも問題に終わらず、医療的には、他の全身疾患とも関係しているエビデンスの報告が積み重ねられている。その結果への理解が問われているのが新たな歯科かもしれない。社会性が求められる歯科をどう理解するのか。

本書は生涯自分自身の歯・咀嚼で食生活・人生を送れるよう専門家・歯科医師として努めてほしいとを期待しているようだ。人生100年時代に突入した現在。かかりつけ歯科医・地域歯科診療が今後、重要視されてくるのは必至で、“歯科医師”を意識させられる。

長尾和宏
@dr_nagao
尼崎の町医者です。日々の想いを、個人ブログに毎日書いています。でもここには書けない内容は毎週、まぐまぐのメルマガ(長尾和宏の痛くない死に方)に書いています。なんと先日まぐまぐ大賞のこころ部門第3位を受賞しました。人情の町、尼崎が大好き。