2022/10/15
葛飾区お花茶屋のコージ歯科 貝塚 浩二です中原先生よいえば、自分が結婚したころの日本歯科医師会の会長の兄弟である、懐かしいです。
◆時間という悠久の冷厳な淘汰を経て,現在にその名をとどめ,歯科医学史を彩る,誇るべき先人20傑とその時代背景を紹介し,歯科医学の史的展開を綴った名著. ◆誇るべき先人20傑:ヴェサリウス/パラケルスス/パレ/フォシャール/パッフ/ハンター/ハイデン/ハリス/ウェルズ/モートン/ガーレットソン/ボンウィル/ミラー/ブラック/アングル/タガート/ギージー/ゴードン/血脇守之助/中原市五郎 (出版社ホームページ)
昭和40年(1965)日本歯科大学卒業。学校法人日本歯科大学理事長。日本歯科大学名誉学長。医の博物館名誉館長
歯科界では稀有な書籍になるが、改めて理解する必要を促される内容である中原泉氏著書「歯科医学史の検証」(一世出版:定価1320円・2022年8月1日2刷)に注目。著者の中原氏は、日歯大理事長・名誉学長という立場に就いており、歯科の歴史には精通している学者でもある。編集内容は、第1章 占領下の歯科教育改革:現今に至る原点の検証、第2章 史実の錯誤か作為か:長尾回顧録の一記述、第3章 歯科医育草創期の史実:明治時代の学校制令と歯科学校、第4章 ふたりの私学人:吉岡彌生と中原市五郎、第5章 歯科口腔外科の軌跡:その歴史的考察、第6章 大隈重信と富士見町:大隈伯卒業生に語る、第7章 検証・歯科医学史の書誌:先史時代を記した歴史家たち。以上の項目で構成されている。
第1章では、眞鍋満太、長尾優、奧村鶴吉、高橋新次郎の各氏が歯学教育改革に奮闘したことを関係書類・資料・文献から、エピソードをまじえて説明。「開業医・眞鍋氏(日本歯科医学専門学校卒・ハーバード大学歯学部卒)と 総司令部の唯一歯科医師・軍医中佐Dale.B.Ridgely(リジレー)との二人の邂逅が、戦後の歯科改革の始まり」としている。二人の意見交換ほかその後の歯科を巡り、右往左往しながらも集約に至るまでの経緯に触れている。眞鍋氏の言動は、当時としては異例であり一目おかれていた。確認すれば、GHQの歯科領域を担当する公衆衛生福祉局であるが、局長;Crawford F.Samsであることは周知のことであるが、課長は総司令部の唯一歯科医師・軍医中佐Dale.B.Ridgelyであったことから“歯科改革の始まり”は当然の見方でもあった。
歯科医学専門学校の今後の存続等に懸念し、激しい議論がされた時期もあったが、結果として、昭和22年4月10日、文部省が各歯科医学専門学校校長を招集して、A級:東京医学歯学専門学校、東京歯科医学専門学校、日本歯科医学専門学校、日本大学専門部歯科、大阪歯科医学専門学校、B級:東洋女子歯学専門学校、日本女子歯科医学専門学校、福岡県立医学歯学専門学校とされた。この結論に至るまでの、歯科の位置づけまでの議論をまとめていった関係者の苦労を明らかにしている。
史実の経年的事実の確認の重要性に言及しながら編集を進めている。臨床家からは、第5章 歯科口腔外科の軌跡:その歴史的考察が関心を持たせた内容になっている。“口腔外科の範囲” “日本独自の口腔外科” “口腔外科医の誕生” “口腔外科の歩み” “死亡診断書問題” “静脈注射事件” “局所から全身へ”を小見出しにして解説して問題意識を提示している。特に、最後の3項目は、現在の歯科医療で議論になっていることに関係する。第6章 大隈重信と富士見町:大隈伯卒業生に語るでは、第1回、第2回の日本歯科医学専門学校の卒業式での挨拶をクローズアップしたもので、大熊伯の歯科への評価・期待の言葉を紹介し、歯科の重要性を理解していたことに、心強く思っていたことが伝わるものであった。
最後の第7章では、歯科医学史の重要性とそれに求められる要素を厳しく指摘している。「歴史に偏見と過信は避けがたいが、歴史家はあくまで史実に反してはならい」「歯科医学史おいて明治時代前期は、文献がほとんど残っていない先史時代として位置づけられる。旧歯科医師法の制定された1906年(明治39)年から有史時代が始まるのである」としている。
歴史家の偏向ついても言及。「医歯薬出版設立者・今田見信氏は、先人であるイーストレーキ、小幡英之助を過大評価している」、「私立歯科医育機関増加の時期において、山田平太氏は、共立歯科医学校の設立者の中原市五郎の名が見当たらない」、さらに「小幡氏は、歯科が口中科に代わって浸透している時に、“口腔”認識が欠いていたため、局所のみを指す、狭小な名称に悩まされ続けることになる。“口腔”が排斥されたが、せめて“口歯科”であれば、歯科医師の業務範囲を表現する適切なネーミングとして国民に膾炙していただろう。小幡氏は功罪半ばである」と記している。日歯大理事長・名誉学長としての主張も伺えるが、“温故知新”を示唆した内容でもある。「歴史家は史実に反しないこと」